私たちは有限会社いわみとして、広島県安芸太田町の道の駅で花屋や季節のもの(秋には松茸や香茸など)も販売しています。
この町では、神楽が盛んな島根県や広島県北に近い、というより接しているということもあって神楽が盛んです。
安芸太田町にはいくつもの【神楽団】が存在して、お祭りで神楽を舞ったり、各神楽団でその演技を競う「競演大会」があるほど、子供も小さい頃から神楽にかなり親しんでいます。
ですが以前「神楽の起源やルーツって何なの?」と聞かれたことがあったのですが、「・・・日本の伝統的な舞いだよ!」とアバウトにしか答えられなかったので、今回周りの人にもしっかり伝えれるように神楽についてまとめてみることにしました。
神楽を舞う様子の動画
まず神楽っていったいどんなものなのか?
地域的なところがあって全国的にまだ完全にメジャーでないこともあるので、百聞は一見に如かず、イメージを湧きやすくするために動画を用意しました。
24:00あたりから動きがすごくなってきます。
【引用】横田神楽団(紅葉狩)2014年の神楽門前湯治村定期公演より
動画でも迫力はありますが、実際に太鼓の爆音を身体で感じてその様子を見た方が迫力はあります。見て頂いた通りかなり重たい装備を着てハードに舞うので、全力で舞われた演者の方は立って動けなくなるくらいゼーゼーになります。
神楽(かぐら)の語源や起源は?
まずあらゆるものには語源があるので、神楽の語源はいったい何なのか調べてみました。
絶大な信頼のおける広辞苑によると、【神座(かむぐら)】という言葉が転じたものとされています。
かむくら⇒かんぐら⇒かぐら(神楽)と変化していったのが定説のようです。
そしたらそもそも【神座】って何という壁にも突き当たったので調べてみると、神道においてはその中心的な建物である神社本殿の最奥部に設けられることが多い、心霊の依り代であるご神体(ご霊代)を奉安される神社の最奥部のことです。
つまりは、年に何回か御開帳されることがあるような、神社の御神体のある場所とイメージと理解をします。
そしてこの場合の神座は、日本の信仰の歴史に深く結びついています。
遥か昔の縄文時代から遺跡や遺物からも、自然崇拝を重視していた様子が垣間見れ、神という存在が自然や事象物にいらっしゃり、そこへ鎮座するという観念が人々に根付いて明確になってくると、神が降臨された際にその身を宿される依り代として大きな樹木や巨大な岩、また太陽や高い峰を崇拝し、やがて人の手によって作られた神座が設けられるようになりました。
そうして神座に神を迎え入れて、農作物の豊穣、災害や災難などの悪いものを追い払うこと、人々の健康など祈願して祈祷や祭事が行われてきたということです。
ようやく神楽に繋がりそうな祈祷と舞い系が出てきました。誰かに教えられるわけでもなく、どの人も共通して神の存在を認識し、豊穣や人々の安寧平和を祈願するということ。
それが現在に繋がっているというのは調べてみて感動です。
神楽といつから呼ばれるようになった?
実際に神楽がいつから呼ばれ始めたのかというと、正確にはわからない状態ですが、日本の文献に載った最古のものとしては759年の【万葉集】です。
この頃は、まだ現在のような舞う神楽として形は整ってなく、鈴の音で鎮魂の儀式をしているような状態であると思われます。
807年の「古語拾遺」から半年ほどが経って、歌舞を伴った神楽を行った。という記述があったことから、このあたりから現在の神楽のルーツとなるものが行われてきたということです。
このあたりは歴史学者や専門家の方の範疇になのですでにオーバーヒート状態ですが、ざっくりと「今から約1200年前くらいに八百万の神様への鎮魂のため歌舞を行ったのが始まりだよ!」という感じでいきたいと思います。
もしかしたら、その時代の前から今のような神楽の形で舞っていたのかもしれませんし、もっと形らしくなったのはその後かもしれません。
でも大まかにはこんな感じであると思います。
もし詳しくご存じの方がいらっしゃいましたら、以下のコメント等でご教授頂けますとうれしいです。ありがとうございました。